2011年08月01日

(月)

私は出不精で、そのうえグータラなので
たいていは家にいます

海外旅行も経験なしです

ところが、友人の多くは
旅行 飛行機 新幹線好き、温泉 いい気分(温泉)好き、食べ歩き レストラン好き

私のことを

《世間を狭くしてるわよ》
と、笑います

名所旧跡、名画、景勝地、すべて写真やテレビで見られます
温泉はこの前、日本の名湯なる詰め合わせをいただきました


外国なんて、死ぬまでいかないでしょうね


とはいっても、私は、純粋国内培養というわけでもない

なにしろ外国うまれなのです
まぁ、戦時中の天津ですから、しゃれた話ではありませんが
1歳のときに、日本に引揚げてきました

父は、現地招集で帰ってこないまま終戦になりました

母は、父は戦死したと思い(戦死の公報もきたのです)

父も、母と私は生きてないだろう≠ニ、あきらめていたのだそうです

父のほうが、先に日本に帰ってきていました

叔母(父の妹でそのころは20歳くらいでしょう)が言うには

お兄さん(父のこと)は、朝から晩までひと言も口を利かないバッド(下向き矢印)
夕方は、ラジオの尋ね人∞舞鶴の引揚者の名前≠ずーーーと聞いていた

家族みんなで、腫れ物に触るようにみてたのよ〜

父から遅れること3ヶ月で、母と私は讃岐の父の所に帰りました


家に着いたときは、父は塩田の仕事に行っていて
もちろん、祖父母や叔母たちはびっくりで・・・
叔母が自転車に乗って、父に知らせに走りました

叔母の話です
《お兄さん  お義姉さんとてこなちゃんが帰ってきたよ って言ったら
おぉ、そうか exclamation って、私から自転車もぎ取って一人でサッーと帰ってしまったの
私は、後ろに乗るつもりだったんだけどね・・・田んぼ道を鍬をかついで、トボトボ歩いて帰ったので
感激のご対面 ハートたち(複数ハート)には間に合わなかった 立ち会えなく残念なのよ 》

このごたいめ〜んに関しては
母や父から、脚色付できいています、


いずれ私の脚色も追加して書いてみようとおもっています




出不精ですが、浮世の義理で
明日、天城高原に行ってきます





昼食

木通の皮の油みそ
半干し大根の醤油バター照り焼き
ゴーヤのオムレツ
鈍根草と冬瓜の味噌汁
マンゴー

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夕食

苦瓜と若布の饂飩
鰐梨と鮹のアンチョビ炒め
涼拌黄瓜
蒟蒻入りおやき

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新しいお友だち、マロンくん(アメリカンコッカスパニエル)

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posted by てこな at 23:20| 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする