決して折り合いのいい母子ではなかったのですが、
最後の最後の数年は、少しはいい関係が結べていました。
まず、唯我独尊の母が私に譲歩するようになりました。
私はそれをいいことに、恩着せがましくちょっとだけ介護のまねごとをしました。
母は、101歳3か月で、
実にあっさりと亡くなりました。
近所の親しくしてくださったお友だちに手を握られて逝きました。
私がまだ新幹線の中だというのに、せっかちな母らしく待ってはくれませんでした。
亡くなる10日ほど前に、
私はいい母親じゃなかったわ。悪かったね〜≠ニ私に言いました。
本当にそうだよ。今ごろ言われても・・と内心では思ったのですが
そうでもなかったよ。私もいい娘じゃなかったし≠ニ返しました。
ちょっとだけ母はうれしそうでした。
亡くなってからの1年近く
母のことが、何かにつけて思い出されます。
晩年の母は寂しかった、気弱にもなっていた、
優しい言葉に飢えていた、私を頼りにしていた、
もうすぐ死にそうだとわかっていたのに
私は優しくできませんでした。
昔、大家族のときは嫁姑、小姑まじえて火花を散らしていました。
代々、我が家の女は相当強いです。
母はそこを潜り抜けて勝ち残った強者ですからね。
決断が早く、迷いなく身勝手でわがままでした。
そんな母も、100歳を超えてからは
少し自信を失い、不本意な日々だったと思います。
嫌なところがいっぱいあり、
大好きだよ、お母さん!
とはいえなかったけれど
今となっては、なにもかもが母の長所のようにも思われ
かっこよく、見事に生き切りましたね
と、拍手したくなりました。
先日母の夢を見ました。
病院にいる母が生き返ったという知らせがきたのです。
そのときの私は
えっ!! 今更困るわ〜 施設解約してしまったのに・・
と、叫んでしまいました。
お母さん〜 生き返ってくれてありがとう💓≠ニは思わなかったのです。
目が覚めて、自分の薄情さに苦笑いです。
今回の一周忌は、コロナのことがありますから
どうしたものかと悩みました。
来月のことなので微妙なところです。
菩提寺の住職さまに相談しましたら
ご家族だけで本堂で法要をして、その後お墓に参れば問題ないでしょう
直会はなしでいいと思います。≠ニ。
郷里に住む親しい友人に一応帰省のことを知らせると
びっくりした! あぁ恐ろし・・
許可書は貰ってる?
県外にでるには許可書がいると思っているらしい。
帰ってきても会えないし、お土産も受け取れない。
コロナが終わったら、ぜひ会いたいわ。
と言われ、
私も会うつもりもなかったのですが
この言いようには、ちょっとショック。
友人でさえこうなのですから、実家の近くの人は私をみると怖がるかもしれません。
夜陰に紛れで行動するかな。
☆ ☆ ☆
まだ5月というのにこの暑さはなんでしょう。。
栗のもふもふはいかにも暑そう。
サマーカットに行ってきました。
すっきり
ビフォー&アフター
夕食
南瓜のチヂミ
モッツアレラ/果物/野菜のサラダ
ドライフルーツのヨーグルト漬け