2016年12月04日

叔父のこと・・(日)

11月30日
連れ合いの、山形にいる叔父が突然亡くなりました。

93歳、矍鑠としておりましたので、びっくりはしましたが

長く患わず、突然というのがいかにも叔父らしく、
潔いというべき終りかたに、感無量です。

叔父は生涯家庭をもたなかったので、
こうして、誰の世話にもならずに終われたことは
大往生なのでしょうね。


この叔父には、とても感謝しています。

45年前、私たちの結婚のとき

連れ合いの身内からは、まったく認めてもらえず
勘当同然、入籍だけで済ませました。

この叔父だけが、お祝いをもって訪ねてくれました。
長男が生まれたときは、山形の両親の家に行って
それとなく、私たちの写真を置いていったそうです。

そういうことがきっかけになって、連れ合いは親と和解することになりました。



叔父は養護学校の教師をしておりました。
その時の教え子の中に、画家の水村喜一郎さんがいます。
その水村さんのプロフィールの中に


養護学校時代の伊藤久吉先生は、水村さんの人生の根幹をなしていて、
大学進学について、家庭の事情を踏まえての進路指導に関わられ、
入学金の配慮だけでなく、水村さんを献身的に支え、
先生の郷里山形まで連れて行かれています。
そして、中村天風という稀世な偉大な人物との出会いの旅を計画し、
京都まで連れて行かれ、人としての生き方を諭されます。
まさに人間道を歩む出会いとなっています



と、紹介されています。


叔父はなにも言いませんが、縁につながるものとして
自慢したい気持ちです。


亡くなる前、少しの間入院していたのですが
入院中、毛糸のチョッキをいつも着ていたそうです。

亡くなって、納棺するときも、病院のかたが気を利かせて
お棺の中に、チョッキを入れてくれたようです。

連れ合いが、チョッキに気づいたのです。


それは、40年前、私が編んだものです。
その頃、手編みにこっていて、
同じ毛糸で連れ合いにはセーター、叔父にはチョッキを編んだのです。

連れ合いは『重くて、肩がこる〜』と、まったく着てくれず⇒ゴミに

叔父は、喜んでくれましたし、本当に着ていたようです。
10年程前に

『てこなさん、あのチョッキはちょっとシミやよごれがとれなくなったので、
紺色に染め変えました。』

というのです。
染物屋さんにだしたそうです。

わたしは、不躾にいくら払ったか聞きましたよ。

新しいな立派チョッキが買える金額でした。


叔父の腕に巻かれた時計は78年前、父親から入学祝にもらったものです。
当然、手巻きです。
今も時を刻んでいます。

ただ、この時計は、分解掃除、部品交換、その他いろいろのメンテナンスで
高級時計が買えるほども、お金や手間がかかっています。


贅沢をする人ではありません。
ベジタリアンで、ふだんの生活は質素、簡潔。

私のようなチャランポランの対極にある人です。

それなのに、嫌味や小言を言われたことはありません。
若いころ、叔父が来ると、なにを作っていいやら・・

ベジタリアンなんて、理解不能でしたからね。

冷奴、納豆、大根の味噌汁、漬け物くらいしか、思い浮かばない。
本当に、それしか出さなかった・・

にこにこして『うまいね〜』


毎回、これしか出さなかったのですから、
今思うと、恥ずかしい限りです。


このチョッキのことは、私ももちろん感激しておりますが、

連れ合いが、チョッキを見て、私より先に泣いてしまった。
どっちが主役だか・・



お葬式は、近しい親族だけの、家族葬のようなかたちになりました。
叔父には可愛がってもらっていたうちの子3人も出席し

なごやかな、いいお別れができたように思います。
posted by てこな at 21:12| 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする