2019年11月13日

むかし話 32 ・・・(水)

10歳ころの話です。

母の実家は大阪で、母の一番下の弟は20代独身、
時々、香川に遊びに来ていました。

その時も突然に来て、家で何日かゴロゴロしています。
母が姑に気をかねて

金毘羅宮にでも参拝しておいで≠ニ、

お供に私をつけて無理やりでかけることになりました。

叔父は都会風で見栄えもよかったし、きっとなにかいいことあるぞ〜と
私は嬉しくウキウキして出かけたことを覚えています。


金毘羅宮は山の上にあって本宮までは786段の石段を登るのですが

石段の両側にはお土産物屋、うどんやなどが並び、

参詣人も多くとても華やかで、心躍ります。


ところが、家を出てから、叔父は碌に口も利かず

ひたすら、歩き、登る。

お店には目も向けません。

行きだからかな〜 帰り道に買ってくれるつもりだ!!

やっぱり遠慮もあって

なにか買って!∞ お腹すいた! ≠ニは言えません。


結局、なにも買ってくれず、なにも食べもせず・・・帰宅。


当てが外れ、ひどくがっかりしました。



それから、多分数日後

明日から、2泊3日の林間学校という前の日、

その叔父が自死したのです。

母から

担任の先生に事情を言って林間学校に行けないと言ってきなさい≠ニ。


先生に会って、泣きながら話ました。

担任は若い男の先生だったのですが

今で言う、ハグですか、

抱きしめて、わかった、わかった!泣かない、泣かない

肩を撫でてくれました。

今も、その時の光景は先生の手の感触まで覚えています。


なんだか甘悲しくて、私は先生に恋をしてしまいました。



お葬式の時は何かにつけて、大泣きして

まわりはてこなは優しい子だね〜≠ニ

お菓子やらおこづかいもらったように思います。


私が大泣きした本当の理由は

金毘羅宮でなにも買ってもらえなかった、叔父のせいで林間学校に行けなくなったことが、

ただただ、悔しく残念だったからです。


情が薄い子だったと思います。



それからもう60年余り

先日実家に帰った時、又従兄(またいとこ)に会いました。

脳の手術をしたと聞き、お見舞いに行ってのです。

数十年ぶりの再会に、お互い胸を熱くして

一期一会に感謝しました。


こちらに帰ってきて少ししたら

又従兄の奥さんから、

100万円、無理なら50万円くらい融通してもらえないか?

という電話がありました。


瞬時に頭の中でいろいろ駆け巡り

・・・・

中略

・・・・

私は貸しませんでした。


それ以来、ずっと心のもやもやが取れません。

100万円がないわけじゃない。

犬のことでは、今までそれ以上のお金を使っている。


身内が泣いて頼んできたのに

1回も貸さないで、最初から断ってしまった。


断った詫びのつもりで5万円くらいお見舞いを送ろうか

中途半端なことは返ってよくないか!!

日々、心が揺れています。



母なら、どうするか?

ちょっと読めない。



父なら、

絶対貸す。

その金がないとこっちが食えないならしかたないが、
すこしでも余裕はあるなら貸す。それが身内というもの

他に当てがないから、身内に泣きついてきたのだから、返せるはずはない。
返してもらおうとは思うな

って言うと思う。


私はケチなんだ・・・

情が薄いのかもしれないと思ったとき

こんな娘で、父には詫びたいと思います。

きっと、もやもやしながらもこのままにしてしまいそうです。


それで、60年前の叔父のことも思い出しました。





昔、祖父が

情のないやつは、

死んだら、畜生道に落ちるんだ!!≠ニ言っていました。

子どものときは、それが途轍もなく怖かったのですが、

今は畜生道に落ちるのは、全然嫌じゃないのです。


トン、ポチ、ソラ、ボス、雷ちゃんたちが喜んで待っててくれてると思います。


玄栗はお友達、多いのです。
人間界より畜生界のほうが楽しそうですよ。

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12日の夕食


ぎんなんおこわ
ゆり根と南瓜のホースラディッシュ風味サラダ
クレソンと胡麻のカプレーゼ
大根のバターソテー
グレープフルーツ

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posted by てこな at 13:36| むかし話 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする